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地域社会と町工場の繋がり
町工場と地域社会の関係性は切手は切り離せないものだと思っております。映画などを見ていても地域の子供たちとの楽しくしているイメージなどが出てきます。
実際、地域社会との関係を町工場は少なからず大事にしていると思っております。その理由について考えた結果を簡単にまとめてみます。
地域社会の発展
町工場は地域の発展に大きく貢献しています。町工場は地元の人々が働き、地元に貢献することで地域の経済発展につながります。また、町工場は地域に密着しているため、地域の需要に応えた製品を提供することができます。地域の需要を満たすことで、地域の生活や産業の発展に貢献しています。
恩返し成長
地域社会は町工場の発展にも大きく寄与しています。地域社会は町工場に必要な人材や原材料を提供することができます。また、地域社会とのつながりを通じて、町工場は地域の特性を理解し、地域に合った製品を生産することができます。地域の素材や技術を取り入れた製品を提供することで、地域の文化や産業の発展に貢献することができます。
人材育成
地域社会は町工場の人材育成にも関与しています。地域社会から採用した人材を町工場が育成することで、地域の人材のレベル向上に貢献することができます。また、地域社会とのつながりを通じて、町工場は地元の学校や大学と協力して、若者たちの技術力やキャリア教育の向上に貢献することができます。
このような部分が地域経済と町工場に相乗効果があり成長を加速させていたのだと思います。ただ、今の環境には合っていないです。都市集中、若者の田舎離れが注目されており、やはりそれを超える魅力を発揮させないといけないと思います。しかし、これからはより多彩な働き方が求められているため、それにこたえることが全身の一歩なのかなと思います。
技術力の高さはなぜ?
調べていく中で日本人の良さが町工場にはあることに気づきました。
おもてなしビジネス
町工場は地元のニーズに合わせた製品を開発するため、多様な技術を持つことが求められます。そのため、町工場の技術者たちは幅広い知識と技術を持っており、機械設計や金型製作、加工技術など、多岐にわたる分野で高度な技術を持っています。
また、町工場は、顧客からの要望に応じたカスタムメイドの製品を提供することができます。そのため、技術者たちは、顧客のニーズを理解し、最適な製品を提供するために必要な技術を磨いています。
つまり、町工場として目の前のお客様の要望に応えるためにより技術を磨いてきた結果が今にあるのかと思います。
その心はやはり日本人特有の”おもてなし”の精神が関わっているのかと思います。
より喜んでもらうために
さらに、町工場は、一つの製品を作り上げるために必要な全ての工程を自社内で完結させることができます。そのため、一貫した製造プロセスを持つことができ、品質の一貫性を保つことができます。また、自社内での全ての工程を把握しているため、製品の改良や品質向上に柔軟に対応することができます。
やはりお客様のニーズをよりこたえるための戦略としてきた結果が今にあるのかと思います。
当時の方々がどこまで考えていたのかはわからないが、結果として大手企業との差別化が出来ていたのかと感じました。
ただ、ネットの進化で情報社会になりより価格の安い企業や海外の企業ともつながることが出来てきたため、町工場として衰退をしてしまったのかなと思います。
町工場の強み、弱み分析してみよう
どうしても町工場と聞くと泥臭く営業、昔ながらの付き合いというマイナスなイメージを持つことが多く見受けられます。実際私もあまりいいイメージは持っておらず、取引先としてあまり魅力を感じることはないのだろうと思っております。ただ、町工場は地方に根ざした製造業者であり、様々な強みを持っています。以下に、その強みを簡単に紹介します。
強み
高い品質と技術力
町工場は、地域のニーズに応えるために、高い品質と技術力を持っていることが多いです。そのため、大手企業とは異なる製品やサービスを提供することができ、独自のニッチ市場を開拓することができます。
迅速かつ柔軟な対応力
町工場は、大手企業に比べて組織が小さいため、迅速かつ柔軟な対応力があります。ニーズが急変した場合でも、すばやく対応することができ、顧客満足度を高めることができます。
地域社会への貢献
町工場は、地域社会に根ざしており、地域の雇用創出や地域経済の発展に大きく貢献しています。また、地域に密着しているため、顧客との信頼関係が深く、地域のニーズを正確に把握することができます。
人材育成と技術継承
町工場は、長年にわたって培ってきた技術やノウハウを、若手従業員にしっかりと伝えることができます。そのため、地域の人材育成や技術継承にも大きく貢献しています。
ローコストな製造が可能
大手企業と比べて規模が小さいため、町工場は低コストでの製造が可能です。また、近隣に部品や材料を調達することができるため、コスト削減につながることが多いです。
このようなことが一般的に考えられており、実際に大手との差別化を図るためには自社の強みを生かした戦略をとっていく必要があると思う。
戦略を立てるためにはもちろん弱みとも向き合わなければいけない。
弱みを記載するのも恥ずかしい話だが、以下のように簡単に紹介します。
弱み
規模の経済
町工場は大手企業と比べると生産規模が小さいため、経済的な効率性が低い場合があります。特に、大量生産が必要な場合や、生産ラインの自動化によってコストを削減できる場合は、町工場が対応することは難しいといえます。
変動に対する体力
町工場は地域密着型の企業であるため、地域の景気動向に大きく左右されます。地域経済が低迷している場合、受注が減少する可能性があります。そのため、地域経済の安定化が求められます。
労働力問題
町工場には労働力不足の問題もあります。若者たちは都市部に流出し、地方における若者の雇用環境は悪化しています。そのため、町工場では人手不足が深刻化しており、生産性が低下する可能性があります。
海外市場の来航
町工場には海外からの競争もあります。安価な海外製品に対抗するためには、高品質や高付加価値製品の生産に力を入れる必要がありますが、そのための投資が限られている場合もあります。
矛盾をしている点もある気はしますが、やはり町工場は体力がなく変化に弱い生き物なのかと思う。ただ、その変化に柔軟に対応することが今のVUCAの時代は大事であると思っています。
そのためにも自社強み弱みをしっかり理解して最適なポジションでの戦いによりしっかり基盤を気づいていく必要があると思います。
そのためにも少しづつ次回以降深堀をしていきたいと思います。
Japan as a number1てなんや
Japan as a nuber1!てなんや
”Japan As A Number 1!”かつての日本はそういわれるほど高い技術や経済活動が盛んにおこなわれていた・・・・らしい。私はその高度経済成長期を自分で目にしたことも体感をしたこともありません。実際、今の日本の経済についてみていると、アメリカに勝てるような経済規模があったなんて考えられません。
そのわけを知りたい
なぜそのように呼ばれていたかを詳しく調べてみると
「Japan as a number1」という言葉は、1980年代後半から1990年代にかけて、日本が世界的な経済大国として急速に発展し、多くの分野で先進国の中でトップに君臨していたことを表現するために使われた表現です。
当時、日本はGDPでアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国であり、自動車や電子機器などの製造業では世界をリードする地位を築いていました。また、日本の企業文化や経営手法も注目を集め、日本式の「品質第一主義」や「ものづくり精神」が世界に広がるきっかけとなりました。
しかし、1990年代に入り、バブル経済崩壊や円高などの経済的な問題が相次ぎ、日本の経済力は衰退していきました。また、アジア通貨危機やITバブル崩壊などの外的要因も重なり、日本の地位は下がっていきました。
現在、日本は経済規模や技術力、国際的な影響力では以前ほどの地位にはないものの、高齢化社会やエコロジー、健康・医療など新たな分野での取り組みに注力し、国際社会において重要な役割を果たすことを目指しています。
とありました。かつての名残が今でも多く残っており、多くの職人さんたちが誇りを持って働いているんだと改めて感じました。でもなんでそんなすごかったんだろうか?
再現性はないのだろうか
ただ、物事には必ず原因があり、かつての日本は少なくとも今よりは前向きにひたむきに頑張っていたと思います。
そんなかつての経済大国を支えていた多くの企業が再び時代に合わせた努力を行うことが出来れば日本は再びNumber1にふさわしい国になるのではないか、そんなことを思い立ち、大手メガバンクを退職し町工場のアトツギになることを決断したライターが町工場として経済を1mmでも動かしていくための考えをまとめていきたいと思っております。
同じ考えを持たれている方やご説教をいただける方がいらっしゃりましたらどしどしビシバシとお願いします。